京野アートクリック(仙台)は、無精子症などの男性不妊をはじめ、男性と女性のどちらも治療できるクリニックです

KYONO ART CLINIC 京野アートクリニック 仙台

コラム

世界初の体外受精児

 2016年のスタートです。皆様に、ぜひ良い結果が得られるよう、望む女性がママになれるよう努力します。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 日本産科婦人科学会によりますと、2013年に国内で行われた体外受精(顕微授精も含みます)の治療件数は36万8764件で、その結果4万2554人が誕生して、約24人に1人が体外受精で生まれた計算になります。現在、たくさんの赤ちゃんが、体外受精・顕微授精治療で誕生しています。
 体外受精での、初の赤ちゃんは、イギリスで1978年誕生です。顕微授精では、1992年に初の赤ちゃんが誕生しています。日本で初めて体外受精児が生まれたのは1983年、顕微授精児は1994年です。顕微授精で産まれた方も、成人を迎えるようになりました。

 今回は、昨年8月に発表されました最初の体外受精児ルイーズ・ブラウンさんがご自身の気持ちを語った記事を紹介させていただきます。以前は、試験管ベビーと言われていました。

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世界初の試験管ベビーは37歳、その人生を語る
2015年8月7日 21時0分 ギズモード・ジャパン

 1978年、ルイーズ・ブラウンさんは世界初のIVF(生殖補助医療)でこの世に誕生した赤ちゃんになりました。
 そのルイーズ・ブラウンさんも今年で37歳。世界初の試験管ベビーとしての人生がどんな風だったか?語ってくれました。


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 私が生まれたことが、世界中にあんなにも衝撃を与えると両親は思っていなかったようです。
世界で初めて体外受精で生まれた人間ということで、私の誕生の是非を論じる政治家、宗教指導者、医師、および科学者たちには「試験管ベビー」とよばれました。でも、両親にとってはただひとつのシンプルなものを意味しました。それは、ついに、自分たちの子どもと呼べる存在を得ることができたということでした。
 家族に対して嫌がらせの手紙が送られてくる一方で、なかなか子宝に恵まれないご夫婦たち
から、私の誕生に希望を見出したという手紙が何百通も届きました。
 体外受精で生まれた私に対して、人々は私には何か欠陥がある可能性があると言ったり、身体的な欠陥が無いことが判明すると次は、私がスーパーマンだとか念力で物が動かせるかもしれないと話し始めました。また、私には魂が無いなんて言う人も...。
 私が現実に生まれたことで、人々は「恐怖」を示すようになりました。同性カップルが同じ技術を使って家族を持つようになるとか、生まれてくる赤ちゃんの性別をコントロールするとか、代理母として子宮を貸し借りするようになるなど。現在では、実際に行なわれていることもありますが、当時としては現実になり得ないと考えられていたことでしたから。
 でも、今では世界中に500万人以上の子どもがIVFの技術を使ってこの世に生を受けています。体外受精のパイオニアである科学者パトリック・ステップトーとロバート・エドワーズは、私のミドルネームに喜びを意味する「JOY」をつけてくれました。今でもIVFを経験した人たちに会うと、彼らの大きな喜びを感じます。  昔に比べ、現在は子どもを持つことができるチャンスが広がっています。卵子を凍らせて精液を保管することは珍しいことじゃなくなり、命に関わるような病気でも赤ちゃんを産める方法があります。近年では、男性不妊を助ける手段もいろいろ発達していることを知って感動しました。
 このように、体外受精や人工授精が一般的なことになってきている一方で、今でも道徳的な問題とジレンマがそこにはあります。ただ、議論はここ数年で変化してきています。人々の態度は信じられないほど変化して、法律も変わりました。
 例えば、私が生まれた頃は同性カップルが結婚して子どもを持つなんて思いもよらないことでしたが、今ではイギリスをはじめ、さまざまな国で同性の結婚が合法になり、IVF、精子提供、代理母によって、同性カップルが子どもをもうけて家族を築くことができるようになりました。愛情深い家庭で子どもが育っていくことは、素晴らしいと思います。
 また、IVFは中年期以降に子どもをもつことにした女性たちの助けになっています。このことについて、個人的には良くもあり悪くもあるように感じています。50代で初めての子どもを産むことが心配なのです。どんな女性でも年齢でも子どもが欲しいという気持ちは否定しませんが、子どもにとって彼らが歳をとったときに、あなたがそこにいることが大切だと思うんです。私は、30歳のときに母を亡くしました。彼女に逢いたいと毎日悲しんでいました。そのときある程度若いうちに子どもを産むことの大切さを痛感したんです。私の母が持っていなかったオプションでしたけど...。
 両親は私が4歳の頃に、私が帝王切開で産まれてくるときのフィルムを見せてくれました。また、ありがたいことに、早めに事情を説明してくれました。おかげで、私は他の人と違う方法で生まれてきたことを理解し、学校でヘンなことを言われても、常にマスコミが興味を示してくるワケもわかっていました。
 両親、パトリック・ステップトー、ロバート・エドワーズ、全員が亡くなった今、私の誕生がこの世界にとって、どんなに重要なことだったのか自覚しました。私がどうやって生まれてきたか?については、たくさんの本が書かれていますが、自分自身で私のストーリーを語る責任があると考えるようになりました。
 両親は私が平凡な人生を送ることになるだろうと考えていました。そのとおり、私は地元のブリストルで普通の仕事を持ち、2人の愛する息子たちと暮らしています。ちなみに、私自身は自然に妊娠したのでIVFは必要ありませんでした。
 IVFで生まれてきた人たちは、当たり前ですが他の皆と同じです。イイ子もいれば悪い子も、賢い子もいればそうじゃない子もいます。生まれてすぐに私を調べた医師が最初に発した言葉は「普通の赤ん坊」だったそうです。そして大人になり、私は普通の女性になりました。私たちは、普通の人間です。ただ生まれてくるのに、科学の力を少し必要としただけなんです。

Louise Brown

引用 http://news.livedoor.com/article/detail/10444995/

原文
http://gizmodo.com/what-it-was-like-to-grow-up-as-the-world-s-first-test-t-1720545068

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治療は大変ですが、新しい命の誕生のため、一緒に頑張りましょう。

医師部 戸屋真由美