どのように考えてこのコロナの時期を過ごすか
こんにちは、生殖心理カウンセラーの菅谷典恵です。
暑い毎日が続きますね。いかがお過ごしでしょうか?
もう8月後半ですがカレンダーを眺めてみてもその実感がなく、3月くらいから季節の移り変わりを感じられていないような気がします。
コロナ禍でなければ、きっと楽しい予定もあり、誰かと会って食事を共にして、色々なことを話しながら季節感も肌で感じていたのだろうと思います。季節は移ろいでも、感覚は追いついていない感じがします。
残念ながら通常できていたことがほとんどできない今日この頃、だんだん飽きてきましたよね。それはなぜなのか私なりに考えていることをご紹介したいと思います。
社会学的な概念に「ハレ」と「ケ」という日常の区別があります。民族学者であった柳田國男氏によって論じられた日本人の伝統的な思考です。「ケ」は日常生活の中で使うことの少なくなった用語ですが、「普段」ということを意味しています。「ハレ」は「晴れ着」「晴れ舞台」などに用いられ、人生の大事な節目を表しています。「ハレ」の日にはきれいな服装を纏い、美しい器でごちそうを食べる、といったことが日本各地で行われています。
この考え方で今の私たちの生活を見てみますと、「ハレ」と「ケ」が調和していた日常生活から「ハレ」だけがごっそり抜け落ちているのだと思います。「ハレ」の日を楽しむために「ケ」を恙なく過ごす、こうした積み重ねが存在せずメリハリがない状況といったところですね。
しかし、決して今が異常なのではなくて、ひょっとするとこの延長線上に別の世界が作られるのかもしれません。以前に「戻る」ことが目指されるべきものではなく、「変化」することが求められているのかもしれません。
となると、「ケ」の中に「ハレ」を見つけていく視点が必要なのではないでしょうか。これまでの歴史の中でも人間は色々な困難に対応して生きてきました。その時の状況に適応した楽しみを見つけ出した人たちが常に有利です。今は積極的に外に出ていくのが難しいため、ネットを最大限に利用して何かをする、新しい勉強を始める、といった家の中でできることに楽しみを見つけ出し、自分の内面を豊かにすることに力を注ぐのにふさわしい時期としてとらえたいものです。
「では今、何ができるか?」という命題の答えを見つめるべく、私も試行錯誤したいと思います。
生殖心理カウンセラー 菅谷典恵